世の中に反抗することを掲げるバンドがあるとしよう。
理不尽に対して文句を掲げるのはある側面で正義の運動であるから、自然と人が集まってくるかもしれない。
それで人が集まって人気になり、その人らがメジャーデビューした時に、さらに人気になって、世の中の理不尽や商業音楽に対して疑問を投げかけるようなことを言うとしたら。
確かに言ってることは正しいかもしれない。
彼らは商業音楽になってしまったのに、商業音楽に対して嫌悪感をあらわにするというのがある種の矛盾に感じられる。
彼らには売れないという選択肢があった。売れないのは商業音楽に媚を売らない点では彼らにとって筋を通すなら良いかもしれない。
つまり、その理不尽を唱える立場が、他者から見た時にそういう事を言える立場なのかと疑問に思ってしまうかもしれないのだ。
これは、自分が悪いことをしているのに、悪いことはするなと言うときに、お前だってどうなんだよと論点をすり替えたくなってしまう心理に似ている。
話してることはあってるかもしれない。
説得力が低くなる要素なだけで、その話が論理的に正しいかという点では影響はないと思っている。
感情で判断するとしたら、聞くに値しないかもしれないが、そのように思うのはしょうがないと割り切っている。
自分で何が矛盾に反してないか考えるのは良い活動だと思うのだけれど、人間は多くの点において自己矛盾が多すぎるので、無理せずにやっていけばいいと思ったのだった。